山門
お寺の門を一般に山門(さんもん)と呼びます。これは、むかし寺院が山林に建立されていたことによるもので、その山林の名称を山号とし、転じて寺院の入口に当たる門を山門と呼ぶようになりました。
『旧天然寺山門添書』と『天然寺山門新添書』によると、現在の天然寺山門は、文化五年(1808)10月22日に「転蓮社運誉大鵬上人」が願主となり上棟再建されたものを、平成2年(1990)8月、当山第30達誉上人の代に大修理を施したものです。
文政4年(1821)3月20日の久居大火の際、本堂、鐘楼堂、書院、庫裏などが類焼しながら、この山門だけが焼失を免れました。
ところで、浄土宗の晋山式(しんざんしき=住職交代の式)では、先ず最初に「山門式」が行なわれます。これは、寺院の入口が山門であり、新命(しんめい=新住職)を入口から正式に迎え入れるという意味合いの儀式です。
皆さんも、お参りの際は合掌をしてから山門を潜るよう心がけましょう。
余談になりますが、総本山知恩院の門は「空・無相・無願の三つの解脱の境地を表わす門」という意味から「三門」と呼ばれています。
半坐像地蔵尊(英霊分骨合祀塔)
久居には、明治41年(1908)に陸軍歩兵第51連隊が設置され、その後大正14年(1925)に陸軍歩兵第33連隊(昭和15年8月より「中部第38部隊」と呼称)が愛知県の守山より営転し、終戦後は陸上自衛隊第33三普通科連隊の駐屯地であるという歴史があります。
その中にあって、昭和19年にルソン島よりレイテ島へ転進した中部第38部隊は激戦の末悲劇的な最後を迎え、関係者は遺骨となって次々に帰還したといいます。
伝え聞くところによると、第29世専誉上人は、当山をその遺骨の安置所にとの部隊関係者からの依頼を快諾し、約8年間遺骨が戻る度に懇ろに英霊の追善供養の法要を営んだといいます。
今も残る『永代祠堂帳』には、それら英霊の法名と、県内外から遺骨を迎えに来られたご両親やご兄弟のお名前がたくさん記されており、現在も春彼岸の期間中にご回向を申しあげています。
この英霊分骨合祀塔は、戦禍に散った尊い命の鎮魂のために、第30世達誉上人によりそれまで本堂に安置していた第38部隊関係者の分骨を合祀し、昭和59年11月3日に建立されました。建立当時は、立像の地蔵尊でしたが風雨による汚損がひどいためこれを地蔵堂内に安置し、現在の半坐像地蔵尊は、平成6年8月に檀徒ご夫妻により寄進建立されました。
毎年8月15日には、本堂ご本尊前とこの英霊分骨合祀塔の前で戦没者慰霊祭を営んでいます。
宝篋印塔
この宝篋印塔は、『一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経』(いっさいにょらいしんひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらにきょう)という、功徳の高いお経が納められています。
その高い功徳とは、「1本の線香や1本の花(一香一華)を供えて礼拝し、供養すれば、80億年もの極めて長い間の過去におかした重罪もいっぺんに消えてなくなり生きている間は災いから逃れ、死後は極楽に生まれる」という内容です。
当山の宝篋印塔は、第18世仁誉上人によって、嘉永元年(1848)3月1日に建立されたことが塔に刻まれています。当山のように石垣の上に安置されているものは珍しく、塔に「執持」「檀方中」の文字があることから、当時の檀信徒の浄財によって建立されたことを伺うことができます。
現在、頂上の宝珠が落ちてしまっています。これは平成16年9月5日に当地で起こった震度五弱の地震の際に崩落したものと思われます。耐震対策も含めて修繕が待たれるところです。
また現在、篤信の檀信徒によって定期的に供花と焼香が施されています。
鐘楼堂
鐘楼は、梵鐘を吊るす楼(=たかどの)のことで、「つり鐘堂」とも呼ばれています。
寺院の梵鐘は、ご承知のように除夜の鐘をはじめ、時刻や儀式の合図などに用いられています。当山では大晦日と、毎月23日地蔵祭の朝方に撞いてます。
当山の梵鐘と鐘楼は、貞享4年(1687)第2世本誉上人によって製作建立されました。
ところが、文化4年(1807)の久居大火で鐘楼を焼失し、翌文政5年(1808)昇誉上人によって再建されました。その後約150年の年月を経て、昭和34年(1959)法然上人750年遠忌(750回忌)にあたり、檀徒の寄進によって改築されました。
鐘楼堂は現在で3代目となりますが、梵鐘は久居大火によって少しひびが入っているものの製作当時のものです。第2次大戦中、一度は供出しましたが、その製作年代が貞享4年と古いことから戻され今日に至っています。同時期に供出した本堂の擬宝珠と堂内の喚鐘は戻っていません。
平成5年(1993)12月13日には、梵鐘の由来を刻んだ「梵鐘由来碑」が檀信徒により寄進建立されました。
毎年大晦日には、たくさんの善男善女が除夜の鐘を撞いて新年を迎えられています。
地蔵尊と地蔵堂
お地蔵さん(地蔵菩薩)は、釈尊入滅から弥勒菩薩が五十六億七千万年の後に成道するまでの無仏の時代に、比丘形(びくぎょう:修行僧の姿)をあらわして六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界)の衆生を教化救済する菩薩です。同じ地蔵菩薩ですが、その縁起や霊験などによって延命、厄除、子育、子安、雨降、雨止など種類は百種類を超えると言われています。
当山のお地蔵さんは厄除開運延命地蔵尊です。第29世専誉上人の発願により、当地近隣で最も有名だった四日市にある光運寺様(浄土宗)の延命地蔵尊の御分身として、大正12年11月23日に入仏慶讃法要が営まれました。以来、昼夜問わずたくさんの方々の悩みや愚痴を、穏やかなお顔で静かに聴いてくださっています。
当山では、毎月23日に地蔵祭(縁日法要)を勤めています。古老の話によると、地蔵祭当日、参道に芝居小屋や屋台がならぶ程賑わった時代があったそうです。現在はそうした賑わいはありませんが、夜明け前や夜間でも参拝者があります。
阿弥陀さまには「ナムアミダブツ」とお称えしますが、お地蔵さんには「オン カ カ カミサン マエ ソワカ」とお唱えします。これを洒落て「オン ニコニコ ハラ タテマイゾソワカ」という言葉もあります。私たちも、お地蔵さんのように、いつもニコニコ穏やかな笑顔で毎日を過ごしたいものです。
お墓参りや年忌でご来山の折は、ぜひお参りください。
現在の地蔵堂は、第三十世達誉上人の発願によって昭和57年12月に改築落慶されました。その後当代に一部防犯対策を施しましたが、連日熱心な信者さんによって供物(おロウソク、お線香、お花など)や掃除をしていただき、また改築工事に携わっていただいた建築業者さんが毎年年末には大掃除をしてくださっています。
ご本尊と本堂
1.弥陀三尊
当山の御本尊は阿弥陀仏(如来)で、本堂正面真中に阿弥陀仏、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩をお祀りしています。
阿弥陀仏は、お釈迦さまがお説きになったたくさんのお経に説かれている仏さまで、まさに救いの主であり、だれかれ区別なくお救いくださる仏さまです
菩薩とはもともと仏になるために修行する人のことをいいますが、観音菩薩や勢至菩薩の場合は阿弥陀仏の分身として、その働きを助ける者という考え方です。
阿弥陀様はなんびとといえども区別なくお救いくださいますが、阿弥陀様が、慈悲として働かれる時には観音菩薩をつかわし、智慧として働かれる時は勢至菩薩をつかわされるといわれています。
なお、阿弥陀仏のお姿像については、座ったお姿の坐像と立ったお姿の立像があり、浄土宗では念仏する衆生を一刻も速く救済していただくお姿という意味から、立像の阿弥陀仏像を本義としています。
当山の阿弥陀仏像は坐像です。造立年代については不詳ですが、阿弥陀仏の後光の裏面には、元禄6年(1693)6月15日修補、天明元年(1786)6月下旬修補、文政10年(1827)2月15日修補と、修理補修した年月日が記されていています。
現在の弥陀三尊は、当山開山聖誉上人300年大遠忌を勝縁として、昭和59年に檀信徒協力のもと第30世達誉上人によって156年の時を経て修補されたお姿です。同年11月12日に開眼法要が営まれました。
2.本堂
現在の本堂は、第29世専誉上人の発願により、昭和12年(1937)に落慶しました。専誉上人が昭和9年に記した『見上山本堂改築募縁序』には、「天保3年(1832 久居大火のあった翌年)檀信徒協力一時的仮建築をなし 次期を得て本建築をなさん計画なりしに時恰も明治維新となり 廃藩と同時に檀家の多くは四方に離散し 仮建築の営繕すら困難の場合となり従って住職も明治五年より大正元年に至る40ヶ年に9代の更迭を見るに至れり 爾来小営繕は時々行い来りしも元来仮建築なり 且つ悉皆松材なりし為害虫の犯すところなり 今や修繕を重ねること能はざる状態となれり」とあり、建替えに至った経緯と当時の状況を具に伝えています。
七間四面、丸柱に格天井の新しい本堂は、着工から完成まで約3年の歳月が費やされ、また現存する『見上山天然寺本堂改築特志芳名簿』には、実に3千余名もの浄財寄進者のお名前が記されています。
その後、昭和56年、全檀信徒協力のもと第30世達誉上人によって、善導大師1300年大遠忌を記念して屋根葺き替えと仏具新調を行い、今日に至っています。
3.釈迦一代画
お釈迦様のご生涯を画いた絵画で、「人間釈尊」をテーマとした大作です。
内容は、「飼虎投身」、「佛誕生の図」、「四門出遊の図」、「降魔成道の図」、「初転法輪の図」、「涅槃の図」で、どれもお釈迦様のご生涯にはとても重要な場面ばかりです。作者は、第30世達誉上人の法縁でもある野田真章師(天台真盛宗常念寺住職)。
昭和48年夏、檀徒により寄進されました。
[ 1:飼虎投身の図 ] | [ 2:佛誕生の図 ] | [ 3:四門出遊の図 ] |
[ 4:降魔成道の図 ] | [ 5:初転法輪の図 ] | [ 6:涅槃の図 ] |
墓地と永代供養塔
当山墓地に今後無縁墓が増えないように、また当山の檀信徒に限らず求める人の安住の場として、平成14年3月、小住の発願により建立しました。
同入和合(どうにゅうわごう)、倶会一処(くえいっしょ)、阿弥陀様の西方極楽世界で、ともになかよくすごせることを願っています。
小動物供養塔
平成14年秋、ペットの供養を目的に小住の発願で建立しました。
施主様には、ペット供養を通じて仏縁を結んでいただくことを願っております。